皆さんこんにちは。八木崎です。
今日は1月11日(水)、鏡開きですね。
正月に年神様に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事です。
武家社会の風習だったものが一般化しました。
刃物で切るのは切腹を連想させるため、手や木鎚で割ったり、砕いたりするらしいです。
また、「切る」という言葉をさけて、「開く」という縁起の良い言葉を使います。
鏡開きにここまで深い意味があるとは知りませんでした。
1,2月はやることが多すぎてブログの頻度を落とすかもしれません。
予めご了承ください。
今日は帰省して感じたことをだらだら書いていきます。
昨年の年末から今年の年始まで帰省していましたが、そこで色々なことを感じました。
- スキーの楽しさ
- 小中学校の同級生に会える喜び
- 親が元気にしていることの嬉しさ
- おなかいっぱい食べられることの幸せ
ここから先は詳しく書いていきます。
スキーの楽しさ
多分3年ぶりにスキーをしました。
北海道では最大級の富良野スキー場に友人と行きました。
富良野スキー場は多分人生で3回目くらいです。
めちゃくちゃ楽しかったです。
ただ、友人は数回滑って体力が尽きたのか、ダウンしていました。
小中学校の同級生に会える喜び
上で書いたスキーもそうですが、同級生に会えるとやっぱり嬉しいです。
時間が経つと会わなくなる可能性があるので、今の内に会える人に会っておきたいですね。
ただ、同窓会に行く勇気はありません...
親が元気にしていることの嬉しさ
まだ不安になるには早いですが、親が元気そうなのが嬉しいです。
ただ、いつか親が亡くなってしまうことを考えるとふと寂しくなります。
Twitterか何かで見ましたが、『家ついて行っていいですか?』の番組で年配の独身男性に取材している場面があり、男性がこんなことを言っていました。
「やっぱり親が死んだ時が一番悲しいね」
何年か後には同じことを思うのでしょうか。
今から後悔しないよう、なるべく親孝行をするように心掛けています。
おなかいっぱい食べられることの幸せ
実家に帰るととにかく親(特に母親)に色々食べさせられます。
私の母親も、祖母に同じことをされたそうです。
これはなぜなのでしょうか?
人間の本能かもしれませんが、家族でおなかいっぱい食べたときにふと母親がこんなことを言ったのです。
「世の中には明日食べるものが無くて困っている人が沢山いるのに、こんなに食べられて幸せだね」
ああ確かに、と思いました。
自分が当たり前と感じていることが、他人にとっては当たり前ではないことを改めて実感しました。
他人と接する時は自分の価値観を押し付けないように気を付けたいですね。
だらだらと書きましたが、皆さんも今ある当たり前を噛み締めて生活してみてはいかがでしょうか?
今日はここまでです。
読んでくれてありがとうございました。